「変態だ」(2016)

(以下敬称略)

 

みうらじゅん原作、そして安斎肇初監督作品の「変態だ」を観ました。

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(画像引用元 みうらじゅん×安齋肇のポルノ映画「変態だ」予告編、宮藤官九郎の姿も - 映画ナタリー

 

先日AbemaTV「ライムスター宇多丸の水曜The Night」にてゲスト出演していた前野健太を拝見した際、とても興味を引かれたので少し調べたところ、彼が主演している本作に辿り着いたことが鑑賞のきっかけとなりました。以前TBSにて放送されていた「オトナの!」に彼が出演されていた際も同様だったのですが、酔っ払いながらも熱のこもった口調で物事を語る彼の姿はとても魅力的でした。彼が歌う楽曲もまた思わず引き込まれてしまうような素晴らしい作品多数でしたので、知らなかった方は是非お見知り置きを。

 

そんな前野健太が主演をはった本作は前編ほぼ白黒という、昨今の映画とは少し変わったルックの作品となっています。初めて監督を務めた安斎肇は、TBSラジオ「たまむすび」での吉田豪の話を聞く限り、監督であるもののほぼ周囲のスタッフに任せっきり状態であったとのことなので、本作において彼の監督としての作家性を推し量ることは諦めざるを得ません。。ただ本作、白黒であることも関係しているとは思うのですが、全体的にかなり締まっている印象を受けました。尺も76分と大変タイト。専門的なことは語れませんが、この締まり具合、どうやらカメラワークが大きな役割を果たしているような印象を持ちます。なんというか、冗長な画面はありませんでしたし、カットによっては一枚の静止画として美しさの感じられるものもありました(覚えている限りでは、ベランダに前野健太が座っているカット、バスが山中のライブ会場に到着した際のカット)。で、撮影監督を務めたのは三浦憲治という方。不勉強ゆえ全く存じていませんでしたが、公式HPを確認すると「ロックカメラマンの草分け」だそうでピンク・フロイド等レジェンド級のアーティストとの実績が数多くあるそうです。「本作では撮影監督を務め、臨場感のある映像世界を作り上げた」と。臨場感、確かにありました。これらの事柄からして、本作は大変優秀なスタッフ陣によって制作された映画だということがわかりました。

 

原作者みうらじゅんについては私自身そんなに明るくはなく、強いていうならば、私が人生で初めて一人で映画を見にいった際の作品が「色即ぜねれいしょん」(彼の同名小説が原作)であることと、「「ない仕事」の作り方」(彼の著作)を読んだことがある程度です。すみません、完全に余談でした。仮にみうらじゅんワールドのようなものがあるならば、それを本作に照らし合わせる感覚を、私は持ち合わせていないということが言いたかったです。(まあざっくり、童貞?みたいなことですか??・・・ナマこいてすみません)

 

はい本題。

 

序盤から中盤にかけては、私としては可もなく不可もなく、といった感じでした。割とがっつりセックスシーンやるんだ、前野氏、白石茉莉奈とべら絡めてて羨ましいなあ、ぐらいな。かといって退屈していたわけではく、私なりにしっかりと「バックボーン含めイマイチうだつの上がらない主人公像」「推し進めることも捨てることもできずに抱えるままのロック」「平和だが平凡過ぎた家庭」「ズルズルと引き摺り込まれた挙句、萌芽し始めたマゾヒズム」といった要素を頭で回収していきました。これらが終盤にかけてどういった展開を作り出していくのか。

 

物語の折り返し地点、それは「雪山でのライブに妻が行こうと思案する場面」。

そこで主人公は葛藤を獲得し、すぐ後に女王様と共に送迎バスに乗り込むわけですが、ここから話がいよいよ面白くなってきたと感じました。女王様の無差別に高圧的な態度、ウクレレえいじのとぼけた言動、緊張状態に追い込まれる主人公、面白かったです。笑いました。例えば芸人のコントとはまた違う、独特なユーモアが感じられて素敵だなと思いました。そうこうしているうちに話は閑散としているライブ本番へと流れていきます。

 

そして「主人公が妻の姿を客席に見た場面」。その瞬間の切り取り方が独特で引き込まれますね。後にも関係してきますが、この時点での妻の存在は「実在」と「主人公の思い込み」のどちらとも取れる表し方だと思います。ラストシーンで妻の姿がなかったあたり、これは思い込みだと推測されますが、この場面で主人公の葛藤が彼の目線でもってハッキリとスクリーンに叩きつけられます。そして彼はほとんど決意に片足を突っ込んだ状態で、女王様を連れて雪山へと逃げていきます。

 

ここから女王様がみるみる精神的に追い詰められていき、最後にはたまらず彼女の本心がむき出しとなるのですが、ここの流れが本作で一番良かったです。文句垂れながらプレイウェアへと着替える女王様、そして次第に主人公との主従関係が崩壊していく様は、大変痛快でした。ここまで特段予測を裏切られることのない流れではありますが、女王様役を演じた月船さららの熱演がシーンのバイブスを引き上げ、シリアスさとバカバカしさの両方の手綱を観客に握らせます。

 

絶頂に達して一転、事態は思わぬ方向へ。

主人公の目の前に現れたのは巨大なクマです。これは大変恐ろしいことです。私にとって山の恐怖といえばクマ、海の恐怖はサメ、という認識ですから、この展開は野球でいう満塁みたいな状態です。クライマックスへの舞台は整いました。この奇天烈なアクシデントの衝撃をどうストーリーの終着点へぶつけるのか。

 

主人公はこの戦いの勝利において、他の追随を許さぬ孤高にして最高の「変態」となります。すでに家庭という現実からはあまりに遠く離れてしまいましたし、商売道具のギターすらなけなしの武器として使ったもののクマには全く歯が立たない。己の生死が問われる最大の試練に対して突破口となったのは他ならぬSMグッズであり、それを大仰な身振りと溢れんばかりのバイブスでクマのアナルへぶち込んだのです。内なる変態性がクマを殺したと同時に自身の全てとなった瞬間でした。主人公が使っていたのと同じピンクローターの振動にクマは耐えきれずに死んだのです。これは主人公がクマとの勝負を、自らの勝利を確信できる土俵である「変態性」を競う種目へと持ち込めた故の結果だと考えられませんでしょうか。自身の変態性を全開にした主人公は熊に勝利したことによって、少なくともこの雪山においての変態生態系の頂点に君臨した、というのは言い過ぎでしょうか。

 

ついに変態を極めた主人公、これにより女王様は不必要な存在となります(実際女王様は気づいたら死んでます)。最高にして孤高の変態、「不合格通知ではない、変態だ!」、その姿でもってストーリーの幕は降ろされるのでした。

このラストの流れからのエンディングテーマ「Kill Bear」には痺れますね。

 

鑑賞前は勝手に「まあ訳わかんない内容の映画かもしんないけど、マエケンだけ拝んどこ!」と不遜な態度をとっていましたが、存外に楽しめる作品でした。

いやしかし、雪山であの格好は、、寒い通り越して痛々しさすら感じました。