6月26日
13時ごろ起床。
ダラダラ過ごした後、洗濯物を取り込む。洗濯物は日没までに取り込まなければならない。
その後は車で最寄りのモールへ。喫茶店で一服し、ユニクロで買い物を済ませる。会計後、3足セットの靴下を1足余分に買っていたことに気づき、再びレジへ。店員に謝っておいた。
夜はワールドカップを観た。番組表をなんとなく眺めていると、ラテ欄に「トキ消費」というワードを見つけた。
トキ消費。モノ消費からコト消費、そしてトキ消費へ。なるほど、確かにこの時流はあると感じる。ワールドカップもトキ消費だろう。リアルタイムだからこその感動がある。
これは全く人間皆が一様にしてわかりあえる共同体である、という前提に立つ考え方である。私自身、以前平田オリザ著『わかりあえないことから』を読んで以来、コミュニケーションはわかりあえないことから始めるべきものだと考えているので、上の前提には疑念を抱いてしまう。「わかりあえるはず」が進んでいけば、当然そこからあぶれてしまう者もいる。あぶれた者に非はないのに、「わかりあえないやつ」というレッテルを貼られ、ひどい場合は糾弾すらされよう。こういうことは単に考え過ぎなだけだろうか。
6月22日
午前2時ごろ起床。真夜中である。
サッカー観戦を中心にダラダラ過ごしつつ、仮眠もはさんだ上で、10時ごろに最寄り駅に向かう。10時30分ごろ、千葉駅に到着。18時ごろに始まる講義までの間、喫茶店を3軒、本屋を2軒回った。久しぶりに本屋でがっつり立ち読みしたら、腰がかなり辛くなった。そこまでして読みたい本はなんだったのか、それはオードリー若林正恭のエッセイだ。あまりにも面白い。そのまま勢いで買おうかと思ったが、もう少し経済的に安定するまで待つことにした。それにしても面白い。
本屋では2冊の新書を購入。うち1冊は伊丹十三著「女たちよ!」であるわけだが、途中ながら既に無類の面白さ。これまで自分が手に取ったエッセイの中でも恐らくはトップクラスである。
にしてもだ。生活サイクルが乱れに乱れて、もはや1周しつつある今日この頃だが、その理由はワールドカップに他ならない。コスタリカはもう毎大会出場してくれ。アイスランドに幸あれ。クロアチアはトータルでのチーム力が傑出している。優勝はスペインだと予想。ジエゴコスタがいるから。