6月18日

7時30分頃起床。

 

朝一で運転免許の更新へ向かう。前回は休日に訪れた際は、免許センターはかなり混雑していたのだが、平日午前は比較的かなり空いていた。更新手続きをとった後、30分程度の優良者講習を受け、晴れて免許更新を終える。

 

その後はサンマルクで昼食を取り、早々に帰宅。寝たり寝なかったり繰り返した後に、「アトミック・ブロンド」を鑑賞。デモ後のワンカット戦闘シーンにはゾクゾクさせられた。面白かった。

6月17日

13時30分ごろ起床。

 

夕方頃に「犬ヶ島」を観に映画館へ。

ウェスアンダーソンの映画の独特さに、改めて酔いしれることができた。面白い。

 

最近はワールドカップの試合をよく見ている。今しがた試合を終えたメキシコ、またはアイスランドコスタリカ、ペルー、エジプト等の中堅国がかなり奮闘しており、見応えのある試合が多い。

ここまでを踏まえた予想として、まずスペインの勝ち上がりは堅そう。ポルトガルに引き分けたとはいえ、ポゼッションとロングボールやショートカウンターを織り交ぜる攻撃の多彩さは魅力。コスタが調子良さそうだし、なにせ選手層が厚いので、なんらかのアクシデントが起こってもそれほど問題にはならないだろう。

逆に優勝候補と目されるフランス、アルゼンチンには1次敗退の可能性があるかもしれない。フランスはオーストラリアに勝利したとはいえ、攻撃面において期待されていたほどの破壊力がないように感じた。アルゼンチンは想像以上にメッシありきのチームになっている。彼が実力を遺憾なく発揮できなければ今後も苦しい戦いを強いられるだろう。クリスティアーノ・ロナウドが衝撃的な活躍を見せる一方で、メッシは残念ながら「影」としてこの大会を早々に去ることになるのでは、と感じる。

またドイツは初戦を落としたとはいえ、残りの2戦(スウェーデン、韓国)は難なく勝利すると予想。メキシコにかなり手を焼いたものの、内容的にはアグレッシブに攻め続けていた。

「勝手にふるえてろ」(2017)

映画『勝手にふるえてろ』を観ました。公開は2017年ですが、最近ソフトの発売・レンタルが始まったので、この機会に色々と語りますか。

f:id:yunada_eyamane:20180616000832j:plain

(画像引用元勝手にふるえてろ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks

 

作品概要

2017年に公開された本作は、今をときめく若手女優・松岡茉優の映画初主演作。監督は大九明子。原作は綿矢りさの同名小説(第27回織田作之助賞候補作)。

桐島、部活やめるってよ』『ちはやふる 下の句』での好演に加え、ドラマやバラエティの分野においても存在感を発揮していた松岡茉優が主演ということで公開当初の注目度は高かったように思います。私自身、彼女のファンですし、原作を既に読んでいたので、本作にはかなり期待を寄せていました。(原作面白いです)

みんな大好きFilmarksでの評価は星4.1(6/16時点)と高得点です。さらに、複数の映画祭への出品、新宿シネマカリテの歴代興行成績が邦画No.1、大ヒットロングラン、等かなりポジティブな成績を記録しています。

松岡茉優感無量!大ヒットロングランに映画「勝手にふるえてろ」トークイベント開催|TVLIFE web - テレビがもっと楽しくなる!

 

あらすじ

24年間恋愛経験ゼロのOLヨシカは、日々、中学時代に片思いをしていた一宮(イチ)との「脳内恋愛」を楽しんでいた。

ある日、ヨシカは同期の霧島(二)からの告白を受ける。

生まれて初めて男性から告白されたことに歓喜するヨシカだったが、イチへの思いと、特に好意を持っているわけではない二との間で心が揺れる。

そんな時、とある事件をきっかけに、イチと再会したいとの思いが募ったヨシカは、同窓会を計画するのだが…。

勝手にふるえてろ - Wikipedia

 

問題提起 ー主人公は天使か、悪魔か。

さて。そもそもこの記事を書こうと思った経緯なのですが。

昨年末に私は友人らと本作を映画館を見に行きました。鑑賞後、かなり良くないか?面白くないか?と若干興奮していた私は「いやあ、90点だな!」なんて意気揚々と友人に話しかけましたが、対して友人の1人がこう述べます。

「主人公(ヨシカ)の、二に対しての態度があまりにも雑でひどくないか?アイツ、ムカつく!」

と大体こんな感じ。私自身、本作にネガティブな印象をそれほど持ちませんでしたので、友人のこの反応は結構ショッキングでした。ですが友人の見解に対して、なにかこう、圧倒的な正しさを感じたのも事実です(なので逆に自分自身の正しくなさにゾッとしたことは今でも覚えています。以上余談)。当時、その友人と色々議論したんですけど、いまいち折り合いというか、議論が落ちなかったんですよね。

とまあ、友人のこの一言がずっと胸に引っかかっています。なので今回はこの件に関してアプローチしていきましょう。簡潔にまとめると以下。

⑴ヨシカ、二に対して態度がヒドすぎ問題

⑵ヨシカはマジでムカつくやつ問題

はい。やっていこう。

まずは、

 

⑴ヨシカ、二に対して態度がヒドすぎ問題 

イチに対して長々と想いを募らせていたヨシカ、そんな彼女に対して彼なりに真っ当なアプローチをかけるニ。それぞれを少し掘っていきます。

まずニ。初回のデートで酔っ払いながら告白しちゃうあたりを見るとやや雑な性格の持ち主なのかなと思いますが、ヨシカに対する思いをすごく正直な言動で伝えてくれます。ヨシカは「うまく私の趣味(テクノ鑑賞)に付き合ってくれないの!」「なぜクソ寒いのに、釣りをするの!」なんて内心不満げな様子ですが、ニは少なくとも本心でヨシカを貶めようとか、俺のワガママに付き合わそうとか、そういう気はさらさらありません。彼は「こうしたい!」ということに体当たりでぶつかることができます。会社の休憩室でヨシカの同僚・クルミが「アイツは絶対ヨシカを傷つけない」とヨシカに助言したように、二はただヨシカのことが普通に好きで、普通に付き合いたいと思ってる、普通のいいヤツです。

対して主人公・ヨシカ。内向的な性格の持ち主。もっというと自ら世界との隔たりを作るような人物です。なぜそういった性格なのかは、彼女の高校時代の回想シーンを見る限り、なんとなく地味な雰囲気+ルックスだということ自認し、ゆえに周囲と溶け込むことがうまくできなかったことに起因しているようです。会社の休憩室で横になっているシーンでは、ヨシカがクルミのまつげの長さを羨む言動がありました。外見的コンプレックスが内向性の出発点であり、それは今もなお続いていると。(高校時代のヨシカはかなり前髪が長かったですね。エレキコミックのやついがだいぶ前ですが「髪が目にかかってるやつは大体引っ込み思案」とか言ってました。スペシャで昔やってた『エレキコミックの音楽禁止令!」のベボベ小出祐介回より。https://www.youtube.com/watch?v=gmdJlEA-iBc

内向的なパーソナリティを自家培養していった結果、ヨシカの内面は以下のように定まっていきます。

・自分だけがのびのび楽しめる世界を、自己の中でどんどん作り出していく

・一方、社会性の伴った一般世界とのズレがどんどん深まっていく

つまり「妄想はできても、想像(他者理解)ができない」という感じかなと思います。

田舎から上京して普通に企業勤めしているくらいには社会性のあるヨシカですが、社会人としてではなく、1人の人(女性)として一般世界とのズレが深まっていきました。その最たることが、26歳にして処女、という事実です。

この「処女」に関して、まず彼女が持っている認識の一つが「今だに処女なんて恥ずかしい」というもの。会社の休憩室でのクルミへのカミングアウトには上記のニュアンスが含まれていました。「内緒なんだけどさ。私今まで誰とも付き合ったことなくてさ」と。そこには強烈なプライドがあります。

そして厄介だと感じるのは、もう一つの認識「ずっと守ってきた貞操尊いということ。これも会社の休憩室でのクルミへのカミングアウトに含まれています。「この歳から付き合うんだからさ、彼氏彼女だけじゃ、なんかさ、怖い」と。急で恐縮ですが、これはイチへの執着と密接に関係していると言えます。

これらの認識は、ベクトルが相反しているように感じます。捨てたいけど、簡単には捨てることはできない。ヨシカが恋愛に関してうまく踏み出せない決定的な要因です。ベクトルがぶつかり合っているため、結局ヨシカは何もできぬまま。(後の展開でこの葛藤は解消されます)

 

 

さて。ヨシカと二、2人の特徴をわかりやすく書くと以下のようになると思います。

二・・・傷つくことを恐れないバカ

ヨシカ・・・傷つくことを恐れるバカ

つまり2人のコミュニケーションにおいて、傷つく(恥をかく)のは常に二だけです。

 

長くなりましたが、ひとまずは⑴ヨシカ、二に対して態度がヒドすぎ問題 の全貌が明らかになったと思います。

 

 ⑵ヨシカはマジでムカつくやつ問題

 

⑴であるがゆえに、⑵が起こってくる流れですね。要は、なぜヨシカは恥をかかない?なぜのうのうと自己完結思考に閉じこもることが許されている?ムカつく!ということ。

まずは作中ではヨシカに対し一体どんな試練が与えられているのか、振り返りましょう。

a.イチに名前を覚えられていなかった

b.クルミが二に処女を告げ口(アドバイス)した

この2点だと思います。どちらもヨシカをかなり精神的に追い込んだ事実です。

aについて。まずヨシカにとってイチはどういう存在だったのか。一つは「ヨシカの内向世界を支える主動力」ということ。しかしタワマンで久しぶりに交流したイチは、ヨシカの妄想世界の彼とはもはや別人。むしろ本物は目の前にいるイチであります。ヨシカはイチに「ごめん。名前何?」と言われますが、ここでいかに自分が世界と隔たれた存在なのかを叩きつけられます。彼女にとっては妄想世界のかけがえのない動力であったイチに。 そしてこの時点で前述した「ずっと守ってきた貞操尊いという考えをぶっ壊すわけです。結局イチに名前すら知られていなかった、保持していた貞操が持っていた僅かながらの希望の矛先には、誰の姿もなかったのです。

とするならば。前述した彼女の内面下に残ったのは「今だに処女なんて恥ずかしい」というベクトル。これ従いヨシカは、それまでと打って変わって二へと歩み寄りを見せます。勿論彼には気づかれないように、処女を脱する(=コンプレックスからの脱却)ことがヨシカにとっての目標であり、明確な勝利となります。

がしかし。ここでbが発生したことで、意図せず自分のコンプレックスをまざまざと露呈してしまったとヨシカは絶望します。二に対しても、そして会社(社会)に対しても。

ヨシカに対しての試練はこういった内容でした。

論点に立ち戻ると、ヨシカに対して妥当な追い込みがかけられていれば「ムカつくやつだけど、ちゃんと落とし前はつけるんだな」と溜飲を下げることができるはずです。つまりヨシカへの妥当な追い込み、致命的なダメージが足りていなかったと。

ですが試練の内容をまとめてみると、大変現実的な範囲に即しており理にかなった展開にはなっていると思います(結局ヨシカの自己完結思考が巻いたタネじゃん!という見方はありつつ)。彼女に対してさらに追い込みをかけられる別案があったとしても、かなり突飛な展開になっていたのではないでしょうか。(この辺りに本作の妙にリアリスティックな雰囲気が出ているのでしょうね)

 

まずはクルミに対して謝れよ、ヨシカ

でもここまでの話では私の友人は納得しないままになってしまいます。

というか後出しになってしまうのですが、友人がもう一つ指摘したことがあります。

「ラストシーン手前、クルミから謝罪メールもらった後。なんですぐにクルミに返信しないのか。なぜ二への連絡を優先したのか」ということ。

すごく真っ当な批判だと思いました。ヨシカ、クルミに対してちょっとあんまりじゃないか。

しかしながらこれに関して、私は仕方がないことだと考えます。なぜならヨシカが精神的に成長するのはラストシーンであり、二に対して自分からキスをする場面でやっと成長の証を見せるからです。つまりこのシーン以前のヨシカはまだ自分勝手な性格のままなのです(まあクルミに対しての対応がヒドイことは変わりませんが)。

なぜラストのキスが成長の証だと言えるのか。これまでのヨシカであれば絶対に自分から二にキスをするなんてことはありえないからです。逆にキスをさせていたと思います、二に。でも最後の最後に、二が極めて落ち着いた態度でヨシカを諭すわけですよね。もう本当にこれが最後だぞと言わんばかりに。ヨシカはこれまで以上に苛烈で、人をイラつかせる、自己中心の骨頂、そんな態度を見せたにも関わらず(「好きなら耐えなよ!」等)、ものすごく言葉を選んで丁寧に説き伏せていく二は本当に最高にいいヤツです。そんな最高の実直さのおかげで、やっとヨシカの中の悪魔が消失されます。二はヨシカにつかれたウソ等も全部含めて「好き」だと彼女をゆるします。思わず涙を流すヨシカ、「キリシマくん」と呼ぶヨシカ、抱きついてキスをするヨシカ。恥をかくことを厭わなくなったヨシカ。やっとです、やっとヨシカが変われた。そして話も終わってしまった!

 

ヨシカに必要だった「償い」

二つ前の段で言及した「ヨシカへの追い込みの足りてなさ」。これに関して、私は本作にあるシーンを追加することで丸く収まるのでは、と考えます。

それはラストシーンでヨシカが改心した後、「クルミと会社にウソをついたことをちゃんと謝るシーン」です。これがあれば前段で指摘した「クルミへの謝罪」も実現しますし、ヨシカにとっての償いにもなるからです。 

もしかしたら描きようによっては暗い終わり方になってしまうかもしれませんが、だとしても必要だと感じます。クルミには絶対ちゃんと謝るべき。そして社会人として会社にも謝って、恥をかいて傷つくべき(いずれにせよ、つき通せない嘘だと思いますし)。

 

結論 ーヨシカはクルミと会社にも謝るべき

私の友人の一言「ヨシカの、二に対しての態度があまりにも雑でひどくないか?アイツ、ムカつく!」。ヨシカはクルミと会社にも謝るシーンがあれば。。

 

6月11日

何時に起きた不明。

 

特に何もせず終わる。というのも、昼過ぎ頃に起きた後に、夕方ごろまで寝て、ご飯を食べて、ラジオ聴いていたら、1日が終わった。

 

今週やりたいことをいくつか作ったので、それを粛々と実行したい。

6月9日

11時頃に起床。祖父の呼び声で目を覚ます。「庭の生け垣の手入れを手伝え」とのことだった。

 

13時ごろまで、庭仕事を手伝う。といっても、父が刈った草を、私が拾って集めるだけの仕事。この作業はここ半年で4回ぐらい経験しているので、だいぶ慣れた感覚があった。

 

14時前に車で外出。最寄りの映画館にて「万引き家族」を鑑賞。

個人的に是枝作品はかなり好きなので、今回もかなり期待して観に行ったのだが、やはり良かった。鑑賞直後はぐるぐると頭で考えていたが、現在時点ではやや薄れてしまった。もう1回観て、この映画にもっと近づきたい。

こないだの「デッドプール2」ももう一度観たいし、ウェス・アンダーソンの「犬ヶ島」も観たいし、TSUTAYAで借りてる旧作も観なければいけないし、この際是枝監督のフィルモグラフィーをなぞりたいし、と最早キャパを溢れ出すほどの欲求が積み重なっていく。バカみたいだなと思いつつ、そういうことで私は生きていけているのかも。まあバカである。

 

その後は、昭和の森という大きな自然公園へと向かい、ホタルの鑑賞を楽しんだ。

家で新聞を読んでいた際、地域面にたまたま「蛍の鑑賞会」の記事が載っているのを見つけたので、善は急げと車を走らせたのだが、駐車場を探すのに一苦労した。なぜあんなにもわかりづらいのだ。第3駐車場を探すのに近辺を30分ほど彷徨った。

それでもなんとか辿り着き、公園へと向かったのだが、周りを見渡せば家族連れだらけ。恐らくはこのイベント、近郊地域では初夏の定番行事となっており、家族やご近所さんたちと揃って楽しむ流れがあるようだ。受付の老人に「何人ですか?」と聞かれたので、「1人です」と答えると、「あっ、1人。はいわかりました」と返された。わざわざ間投詞を入れてくれるな。

しかしまあイベント自体は大変にオツなもので、ホタルの光が暗闇にポツリポツリと浮かぶと、参加者らは揃って感嘆のため息を漏らす。これは花火大会に近い雰囲気である。偉そうに一眼カメラを携えていた私だが、夜間撮影に全く慣れておらず、ろくな写真が取れなかった。一眼カメラをもっている人は他にもいたのだが、三脚を立てて長時間露光撮影をしていた。普通はそうなのだろう。

6月8日

0時30分頃起床、睡眠時間は4時間ほどだった。

 

5時から祖父母の農作業を手伝う。畑に薬をかける(このイベントは「薬かけ」という)。ちなみに5時前は映画「キッズリターン」を観ていた。自分なりに感想をまとめた上で、ネットで感想を色々漁る。なかなか興味深かった。

 

12時頃に古着屋へ。車で15分ほどの距離だ。膨大な商品が巨大な倉庫に一斉陳列されているのだが、気に入った商品がなかったため手ぶらで帰った。

 

17時頃に再び外出。予備校のある千葉へと向かう。「通学」はだいぶ慣れてきた。いつもは近くのサンマルクで一服してから講義へと向かうのだが、今日は寄り道する時間がなかったので校舎へ直行した。

6月7日

12時半起床。といっても入眠は7時ごろだったので、タイム感としてはまあまあか。

 

15時、家にいても仕方ないので、参考書をリュックに詰めて自転車で出かけた。

いつも行く駅とは方面が逆の駅へと向かう。普段自転車では通らない道だったので、道中はあまり退屈しなかった。適当な喫茶店を探せど探せどなかなか見つからない。だいぶ回り道をした挙句、コンビニで煙草と果実ジュースだけ買って帰った。

コンビニで喫煙していると、一台の車がやってきた。運転していた若い男はそのまま店内へ。その姿を一目見た瞬間に、ふと記憶が沸き起こった。小学生の頃、私はサッカーをしていたのだが、隣町のチームに所属していた背の小さい目がくりっとした色黒のやつ、今しがたコンビニにやってきたのはその男に違いなかった。無論、知り合いですらなく、まして名前など知らない。そんなやつの記憶がこうも一瞬で鮮烈に沸き起こるのは、不思議でならなかった。

 

ネットサーフィンしていたところ、ラッパーのAKLO宇多丸がDJ RYOの「Youtuber」という曲を褒めている記事を見つけた。(タマフルではお馴染みだった、みやーん氏の書き起こし記事)

この曲でバースを蹴っているのが、SOCKSというラッパー。宇多丸は彼のテーマ選定と落とし込みのセンスを絶賛していたが、私も全くもって同意見である。リリースされた当時、私もSOCKSのリリックセンスに脱帽した。彼はこの曲で、自分はyoutubeを見ている、見ながら飯食っている、ぐらいのことしかラップしていない。にも関わらずリリックには確かな強度がある。テーマに対してのパーツの切り取り方だったり、その見せ方だったり、それら全体から感じ取れる殺伐としたユーモア。かなり独特だ。そういう個性を持つラッパーは(個人的には)(少なくとも国内では)あまりいない。